vol.011* わたしの生い立ち〜ジャニヲタ編〜
随分前に投稿されたものなんですがおお、楽しそうなの発見!改めてまとめてみたらおもしろそ〜って思ったので書いてみようと思います。
ただ、なんせジャニヲタ始めた頃はSNSなんかやってないしこんな風に備忘録を書く記録媒体すらなかったので最初の方はほんと覚えている範囲でだけなのでカスカスです。しかし中盤からは割と長くてダラダラです、よって最初に書いておきますが、全部含めるとかなり長丁場です。ご了承ください。
※そもそもジャニヲタってどこからがジャニヲタなんだろ。コンサートとか行ってないお茶の間時代はジャニヲタに入らんのかな?っていう議論が永遠にわたしの中にあるのですが今回はお茶の間時代も一応生い立ちに含んで書いちゃってます。
※全部書いてると果てしないので思い出深い事柄、ターニングポイント的な事柄に絞って書いていきます。
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■1999年(若干小学1年生)
嵐のハワイ会見をテレビで目撃
(多分リアルタイムではない)わたしは可笑しな事言ってるけど変にチャラくてなんだか目に付いた「相葉雅紀」に興味を持つ。名前を覚える。母が元マッチのファン、キンキとか聴いてたこと、保育園の時にV6のWAになっておどろうをよく歌ってた、スマスマとか見てたことなどなどその頃からジャニーズの存在は知ってた。それが嵐の登場でより濃いものになる。
嵐初登場の伝説的Mステを見逃す
後で何かの番組でその映像を見て「うわぁなんだこれ。」と、衝撃を受け更に興味を持つ。
バレーボールのテレビ中継を見る
初めて芸能人を心からかっこいいと思う。それがわたしのジャニヲタ人生初めての担当相葉雅紀だった。以後テレビに出ると分かれば見ていたし一応CDも(全部じゃないけどw)買ったりするお茶の間時代に突入。しかしあんまりこっちで放送するテレビに出演してなかったのでそこまで記憶ないんですが、(けど後でもれなく映像かき集めて見漁りました。)音楽番組とかは大体見てました。
■2002年
人生初めてのコンサートへ
SMAPが地元のスタジアムでコンサートをすると知り一般発売でチケットを取り何故か父も巻き込んで母、父、わたし、妹の4人で参戦。わたしはスマスマとかサタスマとか物心ついた時から見てたしSMAPのこと割と知ってたから興味本位でついて行った。わたしの人生初のコンサート。(嵐を差し置いてww)それがドリスマ。コンサートというものはこういうものなんだとすごく感動したのを覚えている。特にOPの記憶が濃くて、確か5人がライトセーバーかなんか持って走り回っていた。そう!スターウォーズのパ⚪︎リというかもろそのものみたいな感じ(笑)そこで「ジャニーズって、アイドルってすげーんだな。」っと子供ながらに思うのでした。
ピカ☆ンチが公開される
すげーあの映画大好きでした。1番目立ってたし、相葉くん。もう「相葉くん相葉くん♡」ってなる。
■2003年
連ドラから大好きだった木更津キャッツアイ日本シリーズが公開
わたしはアニ(塚本)にメロメロで、妹はこの頃から「しょーくんしょーくん♡」言い出した。
ファンクラブに入る
姉妹揃って嵐にのめり込んできたところでノリで親に頼み込んで、わたしの名前でファンクラブに入らせてもらう。父のお弁当を作るのを3ヶ月続けておこずかいをせしめて会費を半分出すという条件で。笑
■2004年
初めての嵐のコンサート
いざなうコンでやっとやっとやっと母に許しを得て、というか母も巻き込んで母、妹、わたしの3人でやっとやっとやっと初めて嵐のコンサートへ。当時チャライケメンだった相葉雅紀の虜に。母は松潤にハマりだす。以後、親子でコンサートに行くように。
相葉くんの手紙はもちろん、諸々に感動し、「この人達に一生ついていきます!」と誓う。
◾︎2006年
探偵学園Qで山田涼介が気になるJに
とにかくなんとも言えないオーラ放ってた山田涼介に釘付けに。単発ドラマだったのに中々引きずっててて、学校でも女子の仲間内で神木くん派と山田くん派で争いが起きてた(笑)わたしは無論譲らず、山田くん派。
■2007年(中学3年生。受験生なのにジャニヲタしすぎて勉強した記憶があまりない。)
コンサートに行けないヤキモキ期間
嵐の凱旋記念公演に県外だからっていう理由で行かせてもらえずヤキモキする。まだギリギリ部活をやってたってこともあり、(しかも運動部)泣く泣く諦める。
探Qが連ドラになる
ますます山田くんにどハマり。毎週山田くんに悶える。探Qの翌日はクラスの女子と探Qの話で持ちきり。
初めてファンサというものをもらう
まさかの我が地元新潟がオーラスだったTime。この公演は今でも忘れません。人生で初めて大好きな人にファンサというものをもらいました。席もメンステ3列目、縦花道最前といういわゆる神席。あれは「サクラ咲ケ」だった。相葉くんがしゃがみこんで前日徹夜して作ったわたしの団扇を覗き込んで満面の笑みでピースしてくれた。その場で号泣。その後燃え尽き症候群で1週間くらい学校でも何をする気も起きずに死んでいました(笑)
ジャニヲタドロ沼時代突入!
同じクラスの八乙女担、中島担と暇さえあれば自担の自慢話。切り抜き交換し合ったり。そんな風にあまりにもジャニヲタを全面に出し過ぎてたからかな?なんででしょうあまり関わりのない同級生の同担に恨まれ変な嫌がらせをされるwwwwww
Hey!Say!JUMPが結成される
「あの山田くんが!!」ってなるが、わたしは嵐一直線だったのでJJ時代から八乙女担やってた友達が号泣してるのを慰めつつも、かやの外的な目線で見つめていた。(くそ最低)このあたりで周りに藤ヶ谷が好きな子、北山くんが好きな子が現れる。でもその頃のわたしは2人共大嫌いだった←
■2008年(見事第一志望の地元のそこそこの高校に合格。入学早々ジャニヲタ暴露。クラスに有岡担の友達ができる。)
ドリアラで初めて全名義全滅を経験する
三日三晩泣き狂う。妹なんて櫻井の写真持って泣きながらご飯食べてた(笑)「5大ドームなんてクソくらえ」なんて言ってました。こんなに人気になっちゃったんだ...ってリアルにショックだった。その痛手を癒すべく(?)休日は有岡担のお友達とJUMPのコンサートDVDをたくさん見てました。この頃からHey!Say!JUMPというグループが自担グループ以外で唯一なんだか身近な存在に。
アジアツアーの国立公演決定
お知らせメール見て泣き叫んだ。神様はまだわたしに嵐に会うチャンスをくれるんだって神様に感謝しました。9月。見事に国立のチケットを勝ち取り初めて地元以外のコンサートに行った。ドリアラでの絶望から、やっと嵐に会えた感動もあって、OPのラブソーで号泣した。今でもあのリマカからtruthという神演出を思い出すと鳥肌が立つ。
■2009年
嵐が10周年を迎える
10周年ツアー。またもドームは外れましたが再び国立公演当選!!2日目に入ったんですが、1日目にあの大ちゃんが泣いたという記事を行きの高速バスの中で読みウルりました(;_;)そして10周年をあの場でお祝いできて幸せでした。振り返り映像からの明日の記憶とかでもう泣いた泣いた。ってこうやって見るとわたしどんだけコンサートで泣くんでしょう(笑)
まさかの自担がフライデー
まだ考えが単純でお子ちゃまなわたしはヲタ卒をリアルに考える。しかしすぐ開き直る。だけど以後フライデーはトラウマに(笑)
櫻井担の友人と人生で初めて番組協力に参加する
そう、VS嵐だ。しかもゴールデン全国放送1発目の放送回の収録だった。FC枠で当たったと連絡が来た時の感動は今でも忘れられない。当日はすごく席が良く、今までで1番近くで大好きな相葉くんを拝むことができた。一緒に映り込みも成功♡()
地元で初めて嵐担の友達ができる
後に相方となる二宮担(現重岡担)、櫻井担(現ヲタ卒済)の嵐担のお友達ができる。デビュー日も特製イラストケーキでこの3人でお祝いした。相葉くんの誕生日にはプレゼントを持って桂花楼にも行った。
■2010年(高校3年生。中3の時から芸能業界で働くことが夢だったので、卒業後は地元の芸能系の専門学校へ行こうと決める。)
「君と見る千の夢」に14名義申し込むが全滅
諦めきれず、相方と一般発売前日の夜9時から地元のぴあに計13時間並ぶ。あの日は4月と言えど新潟の4月。春なんてほど遠い。ほぼ冬ですよ冬。深夜から明け方にかけてそりゃあもう極寒で。あの時は本気で「わたし凍っちゃう」って思いましたガチで。1番冷え込む朝方なんて数分意識飛びましたwwwwwwwwwでもそこに居合わせた同じ目的を持つ方々と励まし合い温め合い、いろんなお話をしながらその13時間を耐え抜き、無事チケットを入手することに成功しました。取れた瞬間は店の中なのにみんなと抱き合って泣いたよねwwwwすごく特別な経験をしました。苦労してもぎ取ったチケットで観劇したわたし的初めての相葉くん舞台。いやーそれはもう生の演技は格別だった。正直当時はあまりドラマ出演で目立っていなかった相葉くんですが、「やればできるじゃん。これが相葉雅紀の本気か..」って思いました。噛んでる姿さえも愛しかった。← 13時間並んだかいがありました。
僕見コンは割とたくさん入ることができる
国立2公演、ドーム共に当選。国立公演は初めて相方と双子参戦。今になっては黒歴史だが、中々際どいネタ団扇を持って行き、見事DVDに映る…。ドーム公演は櫻井担、大野担の友人と入り、さとしBDをお祝い!!
◾︎2011年(芸能系の専門学校に入学。裏方の勉強を始める。某タレントに激ハマりしそっちの方をメインに追っかけ始める。でも夏頃すぐこっちに戻ってくる。笑)
ワクワクに泣かされる
バイトを始めたばかりでタイミングがちょうど悪く資金繰りができずワクワク学校に申し込めないという事態発生。最初は「コンサートじゃないし〜」と余裕ぶってたが後から激しく後悔。ワクワク当日みんなの楽しそうな呟きを見て激しく病む。この時から好きなアイドルに会うのもだけど、その現場で同志達と会ってわいわいすることもわたしの生き甲斐なんだと気づく。
BWツアー
今度はドーム公演に当選するがあれほど自分的に特別視してた国立公演に初めて落選。死に物狂いでチケットを探した。そして諦めかけてた時に松本担のまりなから神の一声が。「1枚だけど友達が行けなくなったから行く?」って(;_;)(;_;)もうその場で泣き崩れました。しかも当日行ったらそのお席が花道最前で(;_;)(;_;)奇跡的に2007年ぶりに相葉くんにファンサをもらうことができた。嬉しすぎて泣きすぎて隣の2人組のおばさまにかなりお世話になった。あのお2人はまだ嵐ファンでいるのかなぁ…そしてそれがわたしが相葉くんにもらった最後のファンサになった。
VSの観覧行くことに躍起になる
って言っても2回しか行かなかったけど、なんだかんだ2009年、2010年と行けてたから味を占めてたのかな。無駄に観覧行きたがってたのを覚えてる。ちなみに2回ともnot.FC枠。
恒例にもなっていた相葉くんBDの桂花楼訪問
この年は二宮担のなおと。相葉くんママにみんなのメッセージまとめたアルバムやら色々お渡し。そしたら帰り際相葉くんのものと思われる車が裏に停めてあるの発見して最高に沸き上がったのは良き思い出。
◾︎2012年(夏に彼氏ができるが全然気にせずヲタ活にいそしむ。その時の彼氏がちょっとやまだくんに似てるって本気で思ってたが今思えば全然似てなかったわww)
初京セラへ
松本担の先輩と続BWコン。またも花道最前という神席。しかし見事に干される。
親子でキスマイが気になるJに
美男ですねで妹は藤ヶ谷に、母は玉森にハマりだす。その影響でキスマイを見るようになり、わたしはなぜか「キスマイなら北山だな〜」ってなる。きっかけは覚えてない(笑)
キスマイ東京ドームへ
単身赴任する父の引越しの関係でたまたま東京にいたわたしは東京ドームにキスマイツアーのグッズを買いに行く。そこで宮田担の友人との初対面。初めてキスマイ担のお友達ができる。
怒涛のゴールデンウィーク
GWにJUMP横アリ→キスマイ城ホという贅沢すぎる弾丸遠征。まず初のJUMPのコンサート。天井席だったけど、初めて生で見るやまだくんのキラキライケメン具合にひたすら感動ひたすら叫ぶ。
北山担になる(正しくは相葉担から相葉×北山担になる)
初のキスマイのコンサート。まさかの横花最前、外周、お立ち台最前というミラクル。開始してまもなく北山くんにしゃがみ込んでからのファンサを頂く。おまけにキッキンで藤ヶ谷からサインボールまで頂く。(おそらく隣の妹に狙い蹴りしたやつが何故かわたしのとこに落ちてきたw)見事にファンサ降り。翌日「相葉くんと北山くんの掛け持ちになります」と宣言する。(超単純)この時何故やまだくんの存在を無視したのかとこの時のわたしに全力で問いたい。
DDのようにいろんな現場に出向く
JUMPツアー仙台、セクゾサマリー(あろうことか最前列でおいしい思いしまくる)、24時間TVの募金、アラフェス、滝つ10周年ライブ、JWと7~11月にかけて動きまくった。そして自分でも何が何だか分からなくなるwwww
Popcorn東京ドームで相葉くんBD祝ったと聞き何故か号泣
アラフェス終わったあたりから嵐への気持ちが薄れていってることには気づいていた。正直今の嵐についていけてないとか、ヲタ同士のトラブル等理由は色々だったけど確実に気持ちは離れてた。それでもこの日だけは入りたいと相葉くんの誕生日を祝うであろう公演を申し込んだ。でも落選した。当然の報いだと思った。のくせに悔しくて当日のレポを読んで号泣してる自分に嫌気がさした。「悔しいとか思う資格ねーよ。」って。それから担降りを考え始める…
■2013年(専門を卒業し、芸能界で働く夢を諦め、ずっと決めてた上京も半ば彼氏と離れたくないがために諦め、彼氏の自宅近くの某ショッピングモールの靴屋さんで働き始める。)
ついに担降りを決意する(正しくは相葉、北山担から北山担になる)
ほぼデビューからずっと大好きだった相葉くんの担当を降りるのはすごく勇気がいることで、名残惜しいというか、寂しいというか…だけどもうそこはいさぎよく降りました。無論もうコンサートも行かないと決め、グッズもほぼほぼ全部売りました。部屋の壁は白い部分がないってほど嵐で埋め尽くされてたのに、真っさらになりました。ほんと最後はいさぎよく(笑)嫌いになって降りたわけじゃない。嫌いになるはずなんてないです。だって14年間も好きだった、相葉くんは今の自分の原点だから。今でもかっこいいと思うし、なんだか特別な存在。これからも茶の間で応援してます。
怒涛のゴールデンウイーク再び
2012年を超えるハードなGW。その年はJUMP全国ツアーの地元公演→キスマイ城ホ→セクゾ横アリという弾丸スケジュール。
山田担になる(正しくは北山担から北山、山田担になる)
念願の地元でのJUMPコン。そしてなんとお席がバクステ最前。そして初めてやまだくんにファンサをもらう。その時感激だったのと同時に≪山田涼介=空気ファンサ≫という勝手なイメージが崩れ去った。「あ、この子はただの自惚れ天狗アイドルじゃないんだ。」(好き好き言いながらそれまでそんなことを思ってた自分を殴ってやりたい)って思ったらどうしようもない気持ちになってGW後、当時八乙女にハマってた妹が集めてくれてた家にあったあらゆるJUMP、やまだくんの出演映像、コンサートDVD等を見漁る。少し大袈裟だが、山田涼介自体のイメージが360度変わった。自分の知らないやまだくんに感動した。もっと大好きになった。心から「もっとこの人を知りたい」「もっとちゃんと応援したい」と思った。こうして山田涼介を初めて知ったあの日から7年という時を経てわたしは山田担になった。いや、北山、山田担になった。その後急遽チケットを買い足し後に相方にになる伊野尾担の友人と東京ドーム公演に入る。
横アリにてメインステージ最前列に入るが干される
キスマイ、Goodいくぜツアー横アリで初めてメインステージ最前列に入る。しかし干される。同担のお友達と4連してかなり頑張った(はず)なのに視界にも入れてもらえず終了。ただただおこ。激萎えして冬のドーム公演は申し込みすらせずディズニーに行く。笑
■2014年(社会人2年目。夏に2年近く付き合った彼氏に振られる。秋に新しい彼氏ができる。しかしその人にジャニヲタが苦手、しかもジャニーズの中でもHey!Say!JUMPが、中でも山田涼介が1番嫌いと言われる。ドンピシャすぎてw今思うと何の権利があってそんなこと言ってんの!鏡見て出直せ!ってかんじよね。←口悪)
初めてコンサートで自担の誕生日を祝う
惜しくも当日ではなかったけどジャニヲタ人生で初めて自担の誕生日をコンサートで本人を目の前にして祝うことができました。元担の時に泣く泣く果たせなかったことなので、嬉しかったな~。プレゼントのくるすけにわーーーって興奮してくるすけにダイブしてごろーんちゅーー♡ってするやまだくん、ケーキのいちごばっかり嬉しそうにほっぺいっぱいに頬張るやまだくん♡♡一生忘れないです(泣)
ちょっとゆるヲタになる
そう言うほど以前からガチヲタだったか?って聞かれるとそうでもないんだけど、その頃は新しい彼氏との時間に重きを置いてたからかな?いや正直その人がジャニヲタ嫌いだから遠慮してたんだと…遠回しにコンサート行くなって言われてる気がして。これからは1ツアー1公演くらいのペースにしようと決める。こういう時恋愛は人を変えるなとしみじみ思う。
smartコンで再び神席に恵まれる
同担のお友達と入ったsmartコン横アリで縦花道最前列という神席に恵まれる。しかし見事に干される。正しく言えば視界には入っていたが(チラ見は確信犯?)完全にシカトされる。
ヲタ卒を本気で考える
彼氏にまだ付き合って2ヶ月くらいなのに結婚しようとか言われ、馬鹿なわたしは信じきる。同棲を始める。そして彼氏に本気で結婚考えてるならヲタクそろそろ辞めたら的なことを言われ、本気でヲタ卒する気になる。その時何人かのヲタクの友達には止められた。でもその時彼氏大好きだったわたしは聞く耳を持たなかった。
■2015年(土日休みの事務職になる。)
キスマイ新春イベント。申し込んだ公演全部当選
まさかまさかの展開。同日3公演とも当選。これでヲタ卒しようって気持ちで、彼氏には1公演と嘘をつき横アリへ。立ち位置変わらないと思って「わーいきたやまくんのお立ち台目の前だ〜♡」って浮れてたらまさかの立ち位置ガチャで…見事にガチャに外れ涙する。
失恋してズタボロなわたしを救ってくれたのはやはりジャニーズでした
結婚する気まんまんだった彼氏に付き合って7ヶ月あたりで振られるwwwwジャニヲタを理由にされたけど実際のところ浮気だったwwwwwそれでズタボロ。多分今までの失恋の中で1番辛かった。もうこれからの人生どうしようレベルで落ち込んだ。そんな時有岡担の友人が当ててくれたJUMPingCARnivalの仙台初日に同行させてもらえることに。落ちるとこまで落ちてたからなおさらかな?そこで歌われた1曲1曲が、キラキラで大好きな人の姿が、全部が心に沁みて、大袈裟だけど、救われた。心の拠り所が再び見つかった気がした。もとより「こうやって自分をいつも救ってくれるのはやっぱりジャニーズだ」と「わたしはまだジャニヲタを辞められない」と再確認した。
Hey!Say!JUMPが24時間テレビのパーソナリティーを務める
JUMPの見せ場はちゃっかり観てました。ドラマは素人ながらにガチで俳優山田涼介の可能性を感じた。俳優としてこれから伸びたいっていう本人からの決意が伝わってきた。そして後日、観覧に行った方のレポを読み漁ってやまだくんに胸熱。
北山くんの誕生日をコンサートで祝う
北山くんの誕生日公演に入る。あの誕生日サプライズには泣かされた。最後の最後にあんなすごい演出で祝ってもらって、あの藤ヶ谷にプレゼントをたくさんもらって、ぬか喜びする北山くんを見てたらこちらまですごく幸せだった。新幹線の時間もあって後ろ髪引かれつつ、途中で会場を抜けた。それがわたしの最後のキスマイの現場になった。
JUMPingCARnival横アリで何かが起こる
特に何があったとかじゃない。ファンサをもらったわけでもない。(むしろ立ち見だったwwwww)だけどあの公演で銀髪イケメンすぎるやまだくんを目の当たりにした時確かにわたしの耳にゆるヲタ終了のベルの音が聞こえたのです\( ˆoˆ )/\( ˆoˆ )/\( ˆoˆ )/
突如北山担を降りようと決意する
よく考えれば突如でもないけど、割と考え始めてから決意するまでは早かった。きっかけはしょうもないことだけど、決意した理由は単純だった。北山、山田担から山田担になる。相葉担を降りてからわずか2年でもう次の担当降りるのかよって自分のカスヲタぶりを思い知らされたけどそこは自分のその時の心境通りに行動した。今回もとてもいさぎよかった方だと思う。
やまだくんドロ沼期に突入
もうこっからは最近のことなので省略しますが、何年かぶりの担当くんドロ沼期!!常にやまだくんのことばっか考えてるし常に「やまだくんやまだくん♡」言ってるし自分でも気持ち悪い。だけどこんなジャニヲタ一色なわたしに「その方があなたらしい」「その方が輝いてるよ!」って言ってくれる人がいて素直に嬉しかった^^*
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この辺まででしょうかね。わたしのジャニーズに翻弄され続けた16年間。(現在進行形)思い返せば相当多額を投資したし黒歴史もあるしつまんないことで病んだりした時期もあったけどこれだけは胸を張って言える。こんなに夢中になれることに巡り会えたわたしの人生は捨てたもんじゃないなって。現にわたしはこんなにも幸せだ。所詮人生楽しんだもん勝ちだ。これは特に世のジャニヲタを馬鹿にする人達に言いたい(笑)幸せのものさしなんて人それぞれだ。
てかくそ真面目に書いたら長くなりすぎましたwwwwwwww8000文字超えとかきもwwwww大変失礼しました…こんな風にいっちょ前に書いてるけど、そこまで大した内容でもない、今も昔もただのカスおたくなので。
それでもジャニヲタになって得たものも多いです。
多大なるコミュ力を我が物にできたこと。これはもうジャニヲタみんな口を揃えて言うよね。小学生時代とかめっちゃ引っ込み思案だったのにさ、相変わらず人見知りは直らないけど初対面から共通の話題で盛り上がる→割とすぐ中々のテンションで話せるようになるっていうのを学生時代から続けてきたからすごいコミュ力蓄えられたよね。今まで数々の(それも中々大人数の)ヲタ会に参加してきたってのも大きいかも。そのコミュ力は地元の子が全くいない専門学校に入学した時とか社会人になった時すごく役に立った。
あとは、人脈が広がったことかな?地元や学校っていう狭い世界だけじゃなく、住みや年齢の違うたくさんの子達と出会うことができたのはかなりの利点だった。ジャニヲタになって一体何人の人と出会ったかな?今もその人たち全員と繋がってるってわけじゃないけど、ジャニーズの話だけじゃなくて、仕事の話とか恋愛の話、いろーーーんな深い話したり、たまにくだらない悩みまで聞いてもらったり、ジャニーズの現場やヲタ会とか関係ないところでも遊んだり、ご飯行ったり。たくさんの子達と地元のリア友並みの仲になれて、そんなお友達がいるからこそ今の自分はこんなに楽しくジャニヲタできてるんだと思います。この場を借りてありがとう!!!
っと少し話はずれましたが、そんなこんなでわたしは少なくともまだまだこの世界から抜けられそうにありません。
明日からも、寝ても覚めてもジャニヲタです。
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長々とお付き合い頂いた方はほんとにありがとうございました(土下座)