この瞬間にかけられる魔法

それは深くてあまい ⸝⋆︎*

vol.041* ふいに書きたくなった2年遅れの『担降りブログ』

なんででしょう最近いわゆる『担降りブログ』というやつを読むのがマイブームです。全く交流のない、知らない方のブログでも内容によっちゃあウルウルしたりします。だって素敵なんだもん泣けるくらい大好きで大好きでいろんな思い出たくさん詰まってる担当とお別れすることを決意してそれを超えるくらい大好きで大好きでたまらない人にこれから自分の持てるすべての愛とすべての財力を注ぐ!っていう決意表明。うんうんって共感しながら読むとやっぱりどうしても泣けます。

そんな中、つい最近地元の仲良しなジャニヲタが担降りをしました。案の定わたしは担降りブログを書け書け急かしました(笑)「書いたよー」って報告を受けた時には光の速さで読みにいきました。

案の定またウルウルきました。そうして思いました。担降りした時の気持ちってすごく大事だよなって。わたしは担降りを2回経験してますがどちらも大した内容の担降りブログは書きませんでした。1回目に関しては書いたは書いたけどもう閉鎖してしまった方のブログにさらっと書いた程度だったし読み返してみたら当たり障りのない言葉の寄せ集めで正直何がどうなってそうなったのか全く意味不明でした。

これは個人的な見解だけど、担降りをした時の気持ちを書き留めておくことでしばらくして読み返した時に当時とその時の気持ちが同じならあの時の決断は間違ってなかったなーとかむしろあの頃より今の方が自担を好きだなーとか思い返してより一層自担への気持ちが深まると思う。はたまたその頃と気持ちの変化があったとしたらそれはそれで色々考え直せるだろうし。

そんなわけでわたしは所詮自己満ではあるけど『担降りブログ』って大事だなと思うわけです。ですのでなんだかんだでもう2年も遅れてしまったけど担降りブログ書きます!おまけに4年前の1回目の担降りの頃の気持ちなんかもまとめて書いちゃう!!

※性懲りも無く恐ろしく長くてうっとおしくて消化不良な感じです要注意※

前にも散々書いたけどわたしの担当歴

・1999年〜2012年 相葉担

・2012年〜2013年 相葉、北山の掛け持ち

・2013年〜2015年 北山と山田の掛け持ち

・2015年〜 山田担

 

自分でも驚くべきことに相葉担は13年戦士でした。それに比べると北山くんは掛け持ち期間合わせて3年弱。恐ろしく短い!やまだくんですらちゃんと担当って名乗ってからまだ4年そこそこです。

さらに細かいこと言うと2012年から2015年のわずか3年で掛け持ちから1人になってまた掛け持ちになるが結局また1人になるっていう流れがすごくスピーディーに行われてました(笑)どんだけ心変わりするのって感じですよね。

今や他Gの現場は眼中にありませんなわたしだけど(とは言いながら先月のキスマイは入ったw)2012年は自担G含め4つくらいのグループの現場に入ってた。なんかあれかな私生活で相当病んでたからかもww

 

そんな2012年のゴールデンウィークに入ったキスマイの大阪公演で前代未聞の良席に恵まれまんまと北山くんにしてやられてしまい当時2人同時に応援するなんてとっても自信なかったけど何人かの友達に背中を押され掛け持ちを決意。まあ嫌いな人もいるかと思うけどいわばファンサ降りというやつです。

それでもその後嵐への気持ちが収まるわけではなくワクワクも行ったしアラフェスもドームツアーも申し込んだ。暑さでへとへとになりながら24時間テレビの募金にまで足を運んだ。しかし夏終わりに開催されたアラフェスが相葉担でいることに違和感を覚え始めたきっかけになった。今までと比べものにならないくらい気持ちが薄れていることに気づいた。いつもコンサートが始まった瞬間に湧き上がる感動も終わった後にこみ上げる「やっぱり大好きだな。」っていうひしひしとくるアレも何も湧いてこなかった。理由ははっきりとは分からない。もちろん原因が相葉くんにあったわけではない。ただ年々コンサートが全然当たらなかったり、ちょうどその時期ヲタク同士のトラブルが重なってたりそんなことがあったからちょっとだけ嵐ファンでいることに疲れてたのも事実。もしかしたらそれが原因の一つだったのかもしれない。その頃から担降りを迷い始めた。こんなに楽しくヲタクできないなら好きでいる意味あんのかなって。

そんな中途半端な相葉担への天罰だったのかドームツアーは全滅で、何年もあんなに願ってた自担の誕生日を祝うであろう公演に入る夢が儚く散った。今は入るべきじゃない。神様にそう言われてる気がして当時のわたしはチケットを探そうともしなかった。しかし迎えた東京ドーム最終公演当日。よしゃあいいのに流れてくるレポを読んで家で1人号泣した。「なんであたしはこんなとこにいるの」ただただやるせない悔し涙が止まらなかった。あたしだってお祝いしたかった。ずっとずっと大好きな人の記念すべき30歳のお祝いをなんであたしができないの意味わかんない無理!って自暴自棄になりました。と同時に気持ちが薄れてるのなんて勘違いだった。あたしまだこんなにも好きなんじゃん未練タラタラじゃん。って気持ちを切り替えられた。

…はずだった。が気づけばそれからわずか3ヶ月後。ついに担降りを決意しました。あの東京最終日あんなにじめじめうっとおしい梅雨時期の湿気のように未練たれてた自分が嘘のようだけど、あれからまた時間が経って、落ち着いてあの日の悔しい気持ちとか長年の情とか全部取っ払って心をからっぽにして考えたら今1番に優先したい人がはっきり分かりました。わたしの考えでは掛け持ちって失礼な言い方だけど、2人を天秤にかけた時に傾き方が全くおんなじじゃなきゃいけなくて。それがどっちかが勝るようならそれは掛け持ちじゃないよなって。だから相葉担を降りて北山担になることを決めた。これまでのわたしは相葉くんを好きでいた期間が長すぎて相葉担ではない自分が想像できなくて担降りする勇気がなかった。だけど降りてみたら逆に気持ちが晴れてスッキリして前より穏やかな気持ちで相葉くんを見れるようになってました。

ちなみにこの頃頻繁に聴いてた曲は嵐の『マイガール』だったり(笑)2度目のスキャンダルで本気でヲタ卒考えてたある日マイガール聴いてアホほど泣きながら「やっぱ好きだもん何があってもついてく!」ってヲタ卒を思い留まらせてくれた超個人的に思い出の曲。そのタイミングで聴いても気持ち変わらなかったから絶対今が降り時なんだって寂しくもありホッともした。

ありがとうともう一度伝えたいよ そっと君のそばで

昨日に戻れないけど 祈るように明日を迎える

手を伸ばせば 君が残したあの季節の扉開く

逢いたくて仕方ないから今日も きっと君の事思い出すだろう

このあたり勝手に感情移入して勝手に泣きました。

いきなりの病気、ガチでもう嵐を辞めるのかなって心配したこと、24時間テレビで読んだ涙の手紙、禁句かもだけどBUBKA事件で死ぬほどショックを受けたこと、懐かしの深夜枠でたくさんアホらしいけど最高にキラキラした相葉くんが見れたこと、天然派とにのあい派で馬鹿みたいに争った日々、初めて相葉くんにファンサを貰った時のこと、初めて番協というものに行って相葉くんを間近で見れた時のこと、初めて全滅というものを味わった2008年ドームツアー、その年の国立公演で初めて登場から号泣したこと、初めての主演映画や主演ドラマに最高にワクワクしたこと、色んな思いがこみ上げて泣きっぱなしだった10周年のコンサート、2度目のスキャンダルで本気でヲタ卒考えたこと、相葉くんの舞台が観たくて極寒の中13時間並んだこと、2011年相葉くんが入院したと聞いてめちゃくちゃ泣いたこと、特別な場所だった国立で相葉くんに最後のファンサを貰ったこと、全部全部多分一生忘れません。

相葉くんはパッと思いつく限りでもこんなにたくさんの思い出をくれた人。たった1人の、あたしが初めて大好きになった人。良い意味であたしの人生を変えてくれてありがとう。たくさんの初めてをありがとう。たくさんの幸せを本当にありがとう。

 

2013年3月掛け持ちから北山担になってあーやっとこれでお金の心配も他諸々の心配も1つのグループで済むのね。って安易な気持ちでいたのもつかの間、あっという間に山田くんとの掛け持ちになることを決めてました。おいおいどうしたって自分でも思うけどww山田くんに関しては以前から全く知らんわけではなかったので気持ちが加速するのに時間は要しませんでした。今まで上っ面しか見ていなかったやまだくんのよーく見ないと分からない魅力をひとつひとつ知るごとにあっという間にやまだくんへの好きがあたしの備えてたキャパを簡単に超えていきました。掛け持ちでもなんでも構わないからこの人に本気でついていきたい。やまだ担って名乗りたい。そう思ったら躊躇いなんて全くなかった。

(それからちょっと私生活であれやこれやあってゆるヲタ期間を挟み)北山担降りを悩み始めたのは2015年のツアー真っ最中のあたりだった。きっかけは完全にヲタクのいざこざ。そんなことでと思われるようだけどその頃のわたし的には相当メンタル削がれる出来事で。北山くんには失礼だけどもうあの人と同じ人好きなの嫌だなとすら思い始めてた。でも「本当に好きならそんなこと関係ないでしょ」って言われたらそうなんです。やっぱりそんなのただのきっかけにすぎなくて。多分自分でも何かへの意地だったんだろう、もう天秤はかたっぽに大きく傾いてるのにそれに気づくのが遅れてしまった。

その年の北山くんの誕生日公演にちゃっかり入って、今まで見たことないくらいすんごく幸せそうな北山くん見てほんわかした気持ちになって。それなのにどうしてだろうあまりにも客観的にしか見れてない自分がいた。この先もずっとずっと北山くんの誕生日を北山担としてお祝いするよって素直に思えない自分に気がついた。それからしばらくもやもや期が続いて迎えたJUMPツアーの横アリ公演。

もうやまだくんにしか自分の感情は高ぶらないんだと確信した。間違いなく今あたしの心の天秤にはやまだくんしか乗ってないこれからあたしの持てる全部をこの人に捧げたい。それだけ強い意志があったので掛け持ちでいる理由はもうないんだと思いそれからまもなくして担降りしました。

わずか3年。わたしが見てきた北山くんはたったの3年分。それでもチャラいチャラい言われてたってチビチビ言われてたっていつもふざけてるように見えてたってどこまでもプロ意識が高くて常に何事にも一生懸命な北山くんは最高にかっこいい自担でした。

こんな半人前な北山担に贅沢な思い出をありがとう!!!

この頃担降りソングの定番曲キスマイの『Good-bye, Thank you』ばっか聴いてた単純ヲタクです。

新しい恋をしても 胸の中に残るでしょう

季節がどんなに過ぎても ぜんぶ憶えてたいよ

よろこびも痛みも

もしこの声届くなら いまこそちゃんと伝えたい

サヨナラよりアリガトウ 心から言えるよ

そしてすぐ気持ち切り替えるために聴いてたのがJUMPの『愛すればもっとハッピーライフ』

ありふれた景色も特別に変わるよ

アツアツのこの気持ちを

すぐに (君に) 届けたい

恋すればもっと 愛すればもっと

世界はきっと変わるんだ

恋すればもっと 愛すればもっと

抱きしめてよ とろけるハニー

ギュッギュッギュ

すげえハッピーな頭でしょ。でもその時の高ぶりすぎたあたしの感情にすごくピッタリな曲だったんです。

 

かくしてわたしはやまだ担になりました。超新米です。1番長かった相葉担時代の13年を超えるにはまだまだあと9年もかかるのです。自分がやまだ担ではなかった年月を埋めようとどんなにあたしが頑張ろうとあがこうとどんなに大好きな気持ちがあろうとあたしが他の人に全てを注いでた間ずっとやまだくんに全てを注いでいた、やまだくんのジャニ―ズ人生の中で一番辛かったであろう時期を一緒に乗り越えた人たちには決して並べっこないんです。わたしは担歴なんて関係ない。大好きな気持ちさえ大きければ...とは思えません。

昔からのJUMP担があの頃は大変だったなーとかあの頃はもっとこうだったのになーとかそう言ってるのを聞く度にあたしはまだやまだくんのジャニーズ人生のほんのごくごく一部しか知らないんだ一部にしか関われてないんだって悲しくなったり、どうして2006年やまだくんが気になりだしたあの頃にやまだ担にならなかったんだろうとか後悔することがないと言ったら嘘になるけど、元担がいたからこそ全く違った魅力を持つやまだくんのことをもっともっと大好きになれたんだと思うしなにより数えきれない幸せな時をプレゼントしてもらったので、元担のことを大好きだった時代は自分の宝だと思ってます。

 

先日放送された火10ドラマ「あなたのことはそれほど」の最終回で大政絢演じる香子が言ってました。

『昔好きだった人と今好きな人を比べても仕方ない。あの頃好きだった人はあの頃の自分が好きだった人、冷凍保存でもしとかない限り今は自分も相手も変わってる。だからあの頃好きだった人はもうこの世にはいない。亡霊、妖精、幻みたいなものかな。』

すごい名言じゃないですか?

自担を当てはめちゃって妙に納得した(笑)わたしは今でも元担がテレビに出てたりするのを見かければ「相変わらずかっこいいなー」とか「こういうとこが好きだったんだよね」とか思いますよ。だけど当たり前だけどもうあの頃とは全然違う感情で。

あの頃の思い出もその頃自分が抱いてた感情も忘れたくないし忘れないでいたい。でも今のわたしが大好きなのは紛れもなくやまだくんだけ。以前のどんなに自分が好きだった人でも比べられない。

ご覧の通り2度は担変えしてるわけですから自分は心が移り変わりやすいのかもしれない。だから先のことなんて確証はないけどそれでも今のわたしには変な邪念も中途半端な気持ちも一切なくて、あるのはこの人を好きでいる限り幸せでいられるっていう確かな自信だけ。そんな今のわたしだからこそ今日も懲りずに言います。

もうやまだくん以上に好きになる人には出会えない。
きっとやまだくんが最後の自担になるでしょう。

 

あれ。担降りブログってこんなんだっけ…着地点見失っちゃったので強制完結!気持ち悪い内容な上に長ったらしくてすみませんでした!!